続サリーとアンの課題

昨日に引き続き、「サリーとアンの課題」について。

以下は、『心の理論』に関するWIKIPEDIAの記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

「サリーとアンの課題」
 登場人物:人間A(探索者、ボールを探す人)
      人間B(隠匿者、ボールを隠す人)

①.AとBが、部屋で一緒に遊んでいました。
②.Aはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
③.Aがいない間に、Bがボールを別の箱の中に移しました。
④.Aが部屋に戻ってきました。
⑤.「Aはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」
  と被験者に質問する。

    ↓         ↓

正解は、「籠の中を探す」となっている。本当に? 

「籠の中を探す」という答えが誤っているケースは以下の通り。

ケース1:探索者Aに原因がある場合
  ・探索者Aは、事前情報から③で隠匿者Bがボールを別の箱に
   隠す事を予期している。
  ・探索者Aは聴覚、嗅覚等の情報からボールの移動を
   察知出来る。
  ・ETC。
ケース2:回答者の感覚の問題
  ・回答者が感知出来ない部分でAとBの間で意思疎通が行われ、
   探索者Aはボールの移動を知らされている。
  ・ETC。
ケース3:上記以外のケース
  ・全ては夢の中の出来事だった。
  ・問題自体が哲学的、或いは禅問答の一種であり、論理的な
   回答が不可能である場合。
  ・ETC

*******

要するに、「サリーとアンの課題」で正解が「籠の中を探す」であるには、A、Bが回答者と同一の情報、感覚、思考形式を保有している事が前提になっている。

ミラーニューロン?他者の行動を知覚した際に、自分であれば、どのように感じるかを無意識的にシミュレーションしている?それを共感と呼ぶなら、相互間で同一の感覚・思考を保有していなければ、共感という感覚は持てない?

*******

僕は「共感」という妄想が恐ろしい。僕の近くには、戦争等の何らかの事件で被害を受けた人達の痛みを自分の痛みであるかのように感じる人間達が存在するらしい。そうした人間達は、本当に彼らを気の毒に感じているのではない。自分が痛みを感じたように錯覚するから、気の毒に感じるように思い込んでいるだけだ。彼らは、見知らぬ人間達には同情するけれど、近くにいる僕のような人間には、「存在するな、消えてなくなれ、死んでしまえ」と平気で意思表示する。

自分と異なる存在は、どれほど痛めつけても平気なのだと思う。(僕だって同じだ)

問題は、彼らが自分達の妄執を素晴らしい感覚だと思い込んでいる事だと思う。

彼らは自分達が他者の痛みを感じているのだと思い込んでいる。思い込んでいるから現実に他人を痛めつけても少しも彼らの心は痛まない。

彼らは他人を痛めつける人間は「悪意」とやらを持っていて、「善意」に基づいて行動している自分自身は潔癖であると思い込んでいる。「悪意」なんて本当に存在するんだろうか?全ての人間は自分の正当性を確信した上で他人を虐待し、その事を自覚する事は不可能なのだと思う。

人間同士、集団での意志疎通は現実には、どのように成り立っているのだろうか?思考を電子的に可視化し、また、機械的にシミュレーションし、さらに計算結果をフィードバック可能な世界が実現した場合、人間が持つ認識は、どのような枠組みなのだろう?

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

サリーとアンの課題

以下は、『心の理論』に関するWIKIPEDIAの記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

その中にある「サリーとアンの課題」
 登場人物:人間A(サリー)、人間B(アン)

①.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
②.サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
③.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
④.サリーが部屋に戻ってきました。
⑤.「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」
  と被験者に質問する。

    ↓         ↓

正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。

******

他者の心の動きを推測する能力の有無を測定する課題であるらしい。ちなみに僕は「サリーとアンの課題」に正答する事が出来る。

正解「②で部屋の中にいなくなったサリーは、③でアンがボールを
   籠の中から箱の中に移した事を知らないのだから、
   籠の中を探す」

⇒何故、正しい答えを回答出来るのか?それは僕が問題の答えを知っているからだ。僕は「知識」によって「サリーとアンの課題」に対応している。「感覚」によって対応しているのではない。

⇒それだから、問題が異なった場合、例えば、「トランクの中に釣り道具を隠す」、「冷蔵庫の中にお菓子を隠す」等のように自分が知らない問題となった時は正解出来ない可能性がある。(類推する能力が全くないわけではないので、正解出来るかもしれない)

⇒知らない事、見えない事を想像する力が弱いのが僕の特徴だと思う。


*****

ここでいう「感覚」とは他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能であると上記のWIKIPEDAのリンクには書いてある。

本当にそうなのかな?

実際には、『心の理論』というのは、他者も自分と同じように思考するという感覚なのだと思う。

ミラーニューロン?相手が見ている事を感じているのではない。相手も自分と同じような感覚を持つという前提でシミュレーションしているだけなのだと思う。だから本当に相手の事を理解しているわけではない。

僕は目前の事象から、ボトムアップ的に世界を構築する。一般の人間は自分の感覚を目前の事象に当て嵌める事で世界を構築する。それは両方とも脳構造の偏りがもたらす幻想にすぎないのだと思う。

目の前の事象や知識に基づき行動・思考する僕の姿は外部から見ると異質だろうし、主体性を感じられないだろう。それでも彼らが感じる主体性というのは、僕が感じているのとは別種の妄想なのだと思っている。

人気ブログランキングへ
プロフィール

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード