続々セントラル・コヒーレンス

セントラル・コヒーレンス = 全体を統合的に見る力。

抽象的な理解 = 少量の事実を繋ぎ合わせ、過去のイメージ
         (長期記憶)と照合し、全体を推察する。

過去のパターンをモデル化し、現在の課題に適用するには、相違点に着目するのでなく、少数の共通点に着目し、同様の事として扱う必要がある。他者が同様の幻影を見ていると考えるならば、意志疎通が可能となる。人間の情報伝達能力、情報受容能力は貧弱であり、自分と他者の間に相違点が存在する事に気が付かない。気が付いたとしても、思考能力の限界から、他者の思考を推定する事は出来ない。そして、その事を自覚出来ない。

統一的な教義・理論は何故必要なのか?人間の理解は、認知出来る事象に言葉を当て嵌める事によって成り立つ。それ故に言語化、文章化されていない事象を認知・操作する事は不可能?

言葉1:雨が降るのは、神が悲しんでいるからだ。

⇒この言葉を否定する場合、何らかの理論を策定しなくてはならない。
 他の理由の存在を仮定するだけでは不十分。
 「神でなければなんなのか?それを証明出来ないのならば、神が
  悲しんでいるから、雨が降るのだ。」
⇒現実の事象においても、人間の理解は、こうした構造になっているの
 だと思う。

<記憶1:後輩Sとの会話>
S「ちょっと、アさん。この前、送っておくように頼んだ書類、
  A社から届いていないって連絡があったんですけど?
  ちゃんと、送付したんですか?」
僕「そうなの?送付はしたはずだけどな?」
S「なくしちゃったんでしょ。今すぐ、机の中を、探して下さい。」
 (30分後)
S「何やってんですか?」
僕「探したけど、見つからないんだ。別に再作成すれば良い書類だし、
  急ぐ必要があるわけでもないから、しばらく様子をみてみれば?」
S「僕の見ている前で、机の中を調べて下さい。」
 (30分後)
S「何でみつからないんだ?分かった。あんたは、別の会社に書類を
  送付したんだ。今から、B社、C社、D社に連絡して、間違って
  書類を送付していないか、確認して下さい。」
僕「何言ってるの?急ぐ種類の書類じゃないんだから、待ってもらえば
  良いでしょ。」
S「いいからやれ。」
 (3時間後、Sからメール)
S:A社から連絡があり、向こうで書類が見つかったそうです。届いて
  いないと思い込んでいたそうです。って事は、アさんは、ちゃんと
  確認をしていないという事ですよね。
S「どういう事なんだ。」
僕「こっちが聞きたい。」
S「ちゃんと、確認してないから、こういう事が発生するんだ。」
僕「必要書類の確認なら、向こうに連絡したけどさ。」
S「それじゃ、どうして向こうは勘違いしたんだ。あんたが適当に
  やったからだろ。違うというなら、どういう言葉で確認したか
  一字一句言って見せろ。」
僕「?????????????」

*****************************

上記の事象が、周囲の人間から、どのように見えるのかは判別出来ない。僕にとっては、こうした事は日常的な出来事だ。人間の思考として、最初に結論を出し、根拠は後から付け足される。そして、その事に気が付く事は出来ない。自分の思考は論理的で正しい事であると思い込んでしまう。

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続セントラル・コヒーレンス

2011/4/21の続き。

セントラル・コヒーレンスとは全体を統合的に見る力。

隠し絵を見るようなものだと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%81%97%E7%B5%B5

「向かい合う2人の人間」に見えるか「壺」に見えるか。

「嫁」に見えるか「義母」に見えるか。

実際には、どちらも2次元上の白と黒の対比に過ぎないのだけれど、何らかの概念・言葉を当て嵌める事を指して「理解」と呼ぶ。

『紙の右下が黒い』,『真ん中が白い』,『黒と白の比率は同じくらい』というような言葉をいくら並べても情報を他人に伝える事は難しいと思う。同じ幻影が成り立つ場合のみ意思疎通は可能となる。

ジェフ・ホーキンス著「考える脳 考えるコンピュータ」のP46~P47

人類が絶滅した後、宇宙人が地球人の生活を調べにやってくる。彼らは道路に当惑する。何のために使用するものなのか?解明のために記録の収拾が開始される。材質・形・長さ・分布・標識・ETC
しかし、詳細な情報を集めても『意味』を見出せず、『理解』に至る事はない。
やがて、宇宙人の1人が叫ぶ。
「わかったぞ。この星の生物は、我々のように瞬間移動が出来なかったんだ。移動を補助するために地面を加工する必要があったんだ。」

⇒全体を体系化し、詳細を形にするには、教義・理論が必要という話。

問題なのは、教義・理論が本質的に幻影に過ぎない事だろう。

過去の人間は天体の動きや雨・風・病気・不幸に至るまで、何か絶対的な存在が操作していると考えたらしい。祈りによって、絶対者を味方に出来ると考えたのか?
神・悪魔・仏・鬼・・・・そのような怪異が森羅万象を司ると考えた?

『確かに人柱を捧げても洪水は発生した。しかし、発生しなかった事も
 ある。必要な犠牲なのだ。』
『病気が治らないのは祈りが足りないからだ。』
『神を信じていれば天国という希望がある。』

現代では、神の代わりに「自我」という妄想が世の中を定義している。
脳内の電気信号・神経伝達物質の動きに、愛・憎悪・嫉妬・ETCといった名前をつけ、自我に祈れば制御出来ると思い込んでいる。

『確かに努力をしても上手くいかない人間はいる。しかし、上手く
 いった人間もいる。必要な思想なのだ。』
『成功しないのは努力が足りないからだ。』
『信じていれば、いつかは良くなるという希望がある。』

これは、否定する事が物凄く難しい宗教だと思う。僕にしたところで、どうしても自分や他人を「心」によって定義してしまう。

『心が無いと認めると、犯罪を裁けなくなる。』
⇒今でも裁けていない。ほとんどの犯罪者は罰を受ければ反省した事
 になり、数年で出所出来る。

『良くなろうという努力をしなくなる。』
⇒今でもやっていない。そもそも、その考え方が正しいならば、何故、
 良くならない人間が大量に存在するのか?
 解決策として機能しないのならば、信じる価値は無い。

『いつかは良くなるという希望がある。』
⇒そんなものは僕に無かった。

やっぱり説得力がないな。

セントラル・コヒーレンス

前に読んだ本の記憶

セントラル・コヒーレンス = 全体を統合的に見る力。

<例1>
車を見た場合。

 自閉傾向が強いタイプ
  ⇒色、ナンバー、乗っていた人、・・・ETC
   (事実を一つずつ、出来る限り記憶する。)
 自閉傾向の弱いタイプ
  ⇒赤いスポーツカー
   (全体の印象を記憶する。)

包括的なイメージを当て嵌めるのか、情報を一つずつ、記憶するのか。多分、人によって情報処理の方法は大分違うのだと思う。
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