うたがいのつかいみち

「うたがいのつかいみち」

月刊「たくさんのふしぎ」通巻104号、1993年11月1日発行、福音館書店。

文:清水哲郎、絵:飯野和好

【登場人物】
ゴフム:疑う者
ソルテス:疑いを吟味する者

⇒デュアルブレイン?システム1とシステム2?

【あらすじ】
町に疑いの名人ゴフムがやって来る。彼はあらゆる事を疑う人間だ。

・ここにある物体は本当に存在しているのか?
 見ている感覚や触っている感覚が存在するだけで現実には
 存在しないかもしれない。
・自分は本当に本を読んでいるのか?
 読んでいると思い込んでいるだけで全ては
 夢の中の事かもしれない。

彼の話を聞いた町の子供達は面白がってゴフムの疑いを大人達に聞いて回り大人達は困ってしまった。

ある時、ソルテスという老人がやって来る。彼は自分ならゴフムの疑いを解けると言う。

・本があるという証明
 『本』という存在は皆が、何かが書いてあり綴じて
 ある物を他の物と区別する時に存在する。
 目の前に『本』が存在するかどうかは皆の意見が一致していれば
 それで決まる。
 もし、それが本が存在するという事と違うなら、本が存在しない
 状態を説明する必要がある。
 本を読んでいる時に、そこに本が無い事を証明する事は難しい。

・我思う故に我有り
 自分が存在する事を疑おうとすると、疑っている自分は誰なのか
 という事になる。故に自分の存在を疑う事は出来ない。

ゴフムはソルテスに言い負かされてしまう。ところが次の日にゴフムは「世界5分前仮説」を思いつく。すなわち世界は自分が生まれる5分前に誕生した。あらゆる物体も記憶も5分前に誕生したのだ。

再びソルテスがやって来る。

彼は言う。人間は最も肝心な事、全ての事の基になる考えについては、証拠も無く、確かめようもないのに、全く当たり前の事として受け入れ、それに基づいて生活している。

ゴフムの思考も「世界は自分が生まれる5分前に『世界が昔から存在するかのように』組み合わされて誕生した」と、『世界は昔からある』という思考に基づいて形成されている。

ゴフムが本当に世界5分前仮説を信じた場合、「年寄」も「子供」も同じ年齢である事になり、そうした言葉の使用を止めるか別の意味で使わなければならない。そうした言葉は沢山ある。その結果、ゴフムの言葉は他者には通じなくなるし、他者と一緒に行動する事も出来なくなる。

この後、話は「時間の流れ」に移行する。最終的にゴフムが改心して、ソルテスは帰っていく。

*********

人間は最も肝心な事、全ての事の基になる考えについては、証拠も無く、確かめようもないのに、全く当たり前の事として受け入れ、それに基づいて生活している。

それは『常識』であり『普通』であり『当たり前』である。そうした他者との共通概念を持たないと言葉は他者には通じなくなるし、他者と一緒に行動する事も出来なくなる。

現在では、その共通概念は『自我』である。

疑いようのない存在として「自分」の存在は定義される。

本当にそうだろうか?

自分を疑うと、疑っている自分は誰なのかという事になる。だから自分は疑いえない。これは言葉による思考を利用したトリックだ。認識されている自分と認識している自分は同一ではない。

存在している自分をAとすると自分Aを疑う自分はBである。両者は別の存在だ。そして自分Bを疑うためには自分Cを作り出す必要がある。自分とは、自分とは何かを考える時に生み出される幻影だ。

ゲーデルの不完全性定理の要はそこにある?すなわち論理、言語による思考、意識は無矛盾である事を証明出来ず、又、自らの誤りを見つける事は出来ない。

以下の言葉について考えてみる。

私は嘘つきだ。

⇒この言葉が『真』であるとすると、『私は嘘つきだ』という言葉は
 『偽』となり、私は正直者となる。
⇒私は正直者となると『私は嘘つきだ』という言葉は『真』となり、
 私は嘘つきとなる。

すなわち論理とは認識される都度、その姿を変貌する存在であり、必ず矛盾を孕み、その矛盾に気がつく事は出来ない。

私という1つの要素と真偽という2つのパラメータしか存在しなくとも論理は矛盾してしまう。まして現実は広大であり、要素数とパラメータの幅は知覚範囲内で無限である。人間の論理的思考には致命的な限界がある。

*******

多くの人間は思っているはずだ。「私は正しい。何故ならば私は自分の弱点を知っている。知っているのだから改善出来る」

しかし弱点を持っている自分を認識している自分を認識する自分を認識する自分を・・・・。このように、どこまでいっても自分を精査する試みは終了しない事になる。皆、自分の中で一定の思考を積み重ねた時点で思考停止状態に陥っているだけであり、自己の正当性を証明する事は不可能だ。

論理の絶対性を覆す悪魔は見つけられてしまった。悪魔は未だに抽象の世界に留まり、理論の目を持つ者にしか存在を知覚する事は出来ない。

しかし、悪魔は今後100年内に現実世界への侵攻を開始するはず。その時に何が発生するのか?

人間の脳内では、同時並行的にあらゆる知覚、記憶、直観が渦巻き、意識は仮想的に因果関係を構築している事が明らかになる?ネットワークで各自の脳が接続された世界では主体と客体の区別が無くなるのか?

人間という概念は砂浜に描いた絵のように消え去るのか?

それは遠すぎる未来なんだと思う。

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