帰り難い空気

会社から帰り難い雰囲気だった。

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逃げる「孫子」

読んだ本の感想。

守屋淳著。2004年8月15日 第1刷。



以下が、「逃走」を戦略的に使用する原理。

①迂回
目的地への速度を競う場合、敵と戦うよりも、迂回した方が早く到達出来る場合がある
②消耗
敵から体力や蓄えを削り、自分は体力を温存しておき、敵の余裕が無くなった時に戦う

<孫子十三篇の概要>
始計篇:戦争の影響の大きさ、臨機応変の重要性
作戦篇:長期戦の無謀を指摘
謀攻篇:戦わずに勝つ知謀に基づく戦い方
軍形篇:不敗の重要性
兵勢篇:奇正や勢い等の要素
虚実篇:主導権を握り、手薄に追い詰める
軍争篇:軍の行動特性や指針
九変篇:将軍が念頭に置くべき事柄
行軍篇:地形に応じた戦い方
地形篇:細かい地形毎の対処法
九地篇:地形における戦い方、部下への対処
火攻篇:火攻め、水攻め
用間篇:情報の重要性

<曹操>
各地に散在していた『孫子』を再編集し、一つに纏めて自らの注を施している。現在一般的に流通している『孫子』は曹操の再編集版。

200年に曹操(兵力二万)と袁紹(兵力十万)が戦った「官渡の戦い」は、『孫子』的思想では、戦ってはならない戦だった。しかし、逃げ場のない戦いであったために先頭を選ぶ。

曹操の戦術としては、まず延津に向かい、黄河を渡って袁紹の背後に回ると見せかけて、敵を引き付けてから白馬に急行して敵の不意を突いた。

⇒孫子 虚実篇における各個撃破の原理。敵を分散させ、味方を集中して戦う。虚実篇では敵を分散させる方法として、どこが攻撃されるか分からないようにするべきとある

⇒各個撃破のためには敵の情報を収集し、味方の情報を隠匿しなくてはならない

そして、曹操は袁紹軍の兵糧が積んである鳥巣を襲撃し、輜重を全て焼き払う事で勝利する。人間は食料と睡眠でエネルギーを補わなくてはならない

⇒その後の南方への遠征では、孫子 軍争篇における「五十里の遠征では、兵力や物資が半分しか戦場に到着しないから、上軍の将が討ち取られる」の言葉通り勢いが続かずに敗れる

******************

クラウゼヴィッツは、戦闘を決闘の拡大版として一対一の発想(敵の殲滅)であったが、孫子では敗戦部隊の大きさで勝利が確定するとして、敵が多数存在する状況を仮定している(自己保存)。ために謀略を使用して無傷で勝つ事を目指す

<毛沢東>
毛沢東が『孫子』を読んだのは、1935年頃(42歳)の時である。

1921年(28歳)に中国共産党に入党した毛沢東は、1927年(34歳)で井岡山を根拠地とし、朱徳と合流し、遊撃戦の思想を生み出す。

〇遊撃戦
敵が進めば退き、敵が止まれば攪乱し、敵が疲れれば襲い、敵が退けば追い掛ける。多い敵、他の敵部隊と近接している敵、堅固な陣地を持っている敵とは戦い難い

1930年末に、蒋介石の国民党軍の包囲討伐をうけた毛沢東は、敵を自軍根拠地に深く誘い入れて分散させ各個撃破する戦略を採用する。

しかし、李立三に消極的な戦術を批判されて実権を奪われる。李立三は都市での革命を実施しようとするが失敗し、次は李徳(オットー・ブラウン)、博古、周恩来のトロイカ体制となる。

李徳は、亀の甲戦術(堅固な陣地から一定距離机上離れない戦術)を採用する国民党軍に対し、敵殲滅を厳命するクラウゼヴィッツ的支持を与えるが、装備に優れた国民党軍が有利となる。

この苦境に付け込んで実権を奪い返した毛沢東は、長征を行い、延安に逃げ込む。その最中の遵義で行われた会議で『孫子』に言及があり、毛沢東は初めて『孫子』を読んで開眼する。

『孫子』における情報の重要性から、偵察や推論によって一般的に正しい指導を実現する事が可能とした。そして、逃げるためには堅固な根拠地が必要であり、そのためには広い国民の支持が不可欠と考え三大規律 八項注意という軍律を策定した。そして、退却しながら分進する敵軍の弱い部分を偵察し、地形を活かして各個撃破する戦術を採用。

<戦後の毛沢東>
中華人民共和国建国後の毛沢東は、対外的にはクラウゼヴィッツ的、対内的には孫子的に振舞ったとする。

〇国内
『孫氏』では、賞罰で人を動かす事が基本だが、他に以下のような記述がある。

九地篇:
兵士に作戦計画や軍の狙い等についての情報を知られてはならない

全軍を絶体絶命の窮地に追い込んで死戦させる

兵士に規定外の報奨金を与えたり、常識外れの命令を下す事で、全軍を自在に操作出来るようになる

⇒部下への情報を遮断して思考力の無い大軍を作り出し、逃げ道を奪って必死に戦うように仕向ける

毛沢東は建国後も、上記のような形を実行した。情報を遮断し、常識外れなキャンペーンを実施する事で、多くの人間が目先の指示に全力を尽くすだけの存在に陥った。そうして誰も自分に逆らえない体制を築く。

〇国外
戦争論的な殲滅戦の思想。

1950年代から米ソ冷戦が激化すると、核戦争が発生しても中国人が最も多く生き残るために有利だとした。

<ヴェトナム戦争>
ホー・チ・ミンは敵を麻痺させる事に対して『孫子』的発想を戦略の要諦として。

虚実篇:
敵の態勢に余裕があれば疲れさえ、食料があれば糧道を断ち、備えが万全であれば計略でかき乱す

軍争篇:
有利な場所で遠来の敵を待ち、休養を取って敵の疲れを待つ。これを「力」の掌握という

ゲリラ戦で敵を緊張状態に置く。対して米軍はクラウゼヴィッツ的殲滅戦略で対応。ヴェトナム人の多くが戦争を望んだために情報量で独立軍が有利であり、当時の国防長官マクナマラが重視した敵の死体数等の損耗率は、国全体を相手とする場合には不適だった。

損耗率を過大に評価する状態では、敵被害について虚偽の報告をする司令官が出世していき、正しい情報が伝わらない。1968年のテト攻勢では、40あまりの都市に攻勢がかけられ厭戦気分が米国内に蔓延。この時、ヴェトナム軍側もゲリラ戦でない正面攻勢のために被害が大きかったが、正しい情報が伝わらない米国はそれを活かす事が出来なかった。

ヴェトナム戦後に国防長官マクナマラが導き出した教訓は、「我々は敵も自分自身も知らなかった」という『孫子』の謀攻篇にある言葉と同じようなもので、以後、米国の国防大学では『孫子』の研究を組み入れていく。

<失敗について>
以下の二つの人間観。

①人間は間違える
②人間は強く美しくあらねばならない

『孫子』においては、②の立場であり、正しい指揮官が部下達を手足のように動かす事を理想とする。1960年代の米軍や経営理論も同様な思想を持っていたが、『孫子』における部下は地位を与えれば全力を尽くす甘い存在ではなく、死地に落として短期決戦で全力を引き出す視点があった。人間はボタンを押せばその通りに動く機械には成り得ない。

命令されるだけの駒扱いでは積極性が生れず、過ちが愚かさとして評価されない環境ではマイナス情報の隠蔽が生じる。

<ピーター・ドラッカー>
上記のような問題から、人間は間違えるという柔軟な思想を持つ経営哲学が求められた。

ピーター・ドラッカーの以下の視点。

・間違えない人間は信用出来ない
・経営者は自らの過誤を認識し得る能力に対して報酬を得る

計画を過信すると硬直化するため、間違いを柔軟に改めるべき。体系的廃棄 = 敗北を認める事が変化の原動力となる。

<マイケル・E・ポーター>
企業の強味、弱味について探究。

以下の三つの手法を提唱。

①低価格
②差別化
③集中

低価格か差別化のどちらかに集中し、中途半端はしない。

以下のような思想は『孫子』に近いとする。

〇勝者にも無益になるような消耗戦は避ける
〇ある事業単位に攻撃を仕掛け、他を疎かにさせる戦略
〇予告によって競争業者の気持ちを推し量る
〇競争相手に代替技術を奨励する
〇大抵の企業には脅威に対して過剰に反応する部門がある

<トム・ピーターズ>
以下の二つの原理を提唱。

①巨大組織を小さいユニットに分割
②年商二百万ドルを超えた組織は作り変える必要がある

権限を下に委譲する事で、他人任せの心理を排除し、水のように柔軟な組織にする。『孫子』の場合は指揮官と部下が分離するが、ピーターズは自分が自分の指導者になるように仕向ける。

『孫子』が志向するのは短期決戦であるが、長期戦では硬直化による弊害を避けるべき。『孫子』の「窮地」という方法は短期的に成果を出す事を目指すもので、ピーターズの「権限と責任」は長期的視点である。

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